日本では、多くの人が中学・高校で英語を学びます。
- 単語を覚える
- 文法を学ぶ
- 長文を読む
- 和訳する
- リスニングをする
- テストを受ける
中学・高校だけでも、少なくとも6年間は英語に触れます。
それでも、英語を話すことに苦手意識を持つ人は少なくありません。
「6年間も英語を勉強したのに、なぜ話せないのか」
この疑問を持ったことがある人は多いのではないでしょうか?
ただし、この記事では、日本の英語教育がすべて無意味だったとは考えません。
むしろ、日本の英語教育は長いあいだ、「話すための英語」ではなく、「読む・解く・訳すための英語」に寄っていたのではないか?
そして、それには歴史的・制度的な理由があったのではないか?
この記事では、その構造を考えていきます。
- 日本語だけで生活できる社会
- 英語を使う必要性の低さ
- 大学入試に引っ張られる英語教育
- 読解・文法・和訳を重視してきた学習
- 間違えることへの恥ずかしさ
- 話す機会の少なさ
これらが重なった結果、英語の知識はあるのに、実際に使う経験が少ない人が多くなったのではないでしょうか?
一方で、海外には、難しい単語を知らなくても英語で会話できる人がたくさんいます。
それは、彼らが特別に語学の才能を持っているからとは限りません。
- 英語を使う必要がある
- 英語に触れる量が多い
- 間違えても伝える経験を積んでいる
- 英語が進学、仕事、収入、移動の可能性と結びついている
こうした環境の違いが、英語を「知識」ではなく「道具」にしているのだと思います。
英語は、単なる学校の科目ではありません。
使えるようになると、世界を広げる道具になります。
この記事では、日本人が英語を話せない人が多い理由を、学校教育、受験、社会環境、海外との違いから考えていきます。
日本の英語教育は、本当に無意味だったのか
まず考えたいのは、日本の英語教育は本当に無意味だったのか、ということです。
「学校で6年間も英語を勉強したのに話せない」
そう感じると、つい「日本の英語教育は意味がなかった」と言いたくなります。
その気持ちはよくわかります。
- 英語を話せるようになりたいのに、実際には話せない
- 海外の人を前にすると言葉が出てこない
- 簡単なことを言いたいだけなのに、頭の中で文法を組み立ててしまう
そう考えると、学校英語は役に立たなかったように見えます。
ですが、少し丁寧に見ると、日本の英語教育がまったく無意味だったわけではありません。
日本の英語教育は、読む力や文法理解、語彙力、英文解釈には一定の役割を果たしてきました。
- 英語の文章を読む
- 英文の構造を理解する
- 単語の意味を調べる
- 文法を使って意味を取る
- 海外の情報を文字で理解する
こうした力は、学校英語によって育てられてきた面があります。
大学受験でも、英語の読解力は重要でした。
大学に入ってからも、専門書、論文、資料、海外の情報を読む力は必要になります。
その意味で、日本の英語教育は「読む英語」には一定の意味がありました。
ただし、ここで大切なのは、読む力と話す力は同じではないということです。
- 英文を読めること
- 文法問題を解けること
- 単語を知っていること
- 和訳できること
これらは、英語力の一部です。
しかし、相手の話を聞いて、すぐに反応し、自分の言いたいことを英語で伝える力とは、別の訓練が必要です。
英語を読めるからといって、英語を話せるとは限りません。
これは、野球のルールを知っていても、すぐにヒットを打てるわけではないのと似ています。
ルールを知ることは大切です。
でも、実際に身体を動かして練習しなければ、プレーはできません。
英語も同じです。
文法を知ることは大切です。
単語を覚えることも大切です。
しかし、話すには、実際に口を動かし、聞き返し、言い換え、間違えながら使う経験が必要です。
日本の英語教育は、まったく無意味だったわけではありません。
ただ、長いあいだ「話すための英語」よりも、「読む・解く・訳すための英語」に寄っていたのだと思います。
なぜ日本の英語教育は「読む力」に寄ったのか
では、なぜ日本の英語教育は、読む力に寄っていったのでしょうか?
その背景には、日本における英語の役割があります。
日本にとって英語は、最初から日常会話の道具だったわけではありません。
特に明治以降、日本は西洋の知識を急速に取り入れる必要がありました。
- 科学
- 医学
- 法律
- 工学
- 政治制度
- 軍事
- 経済
- 哲学
- 教育制度
近代国家を作るために、日本は海外の知識を学ぶ必要がありました。
そのとき重要だったのは、外国人と日常会話をすることだけではありません。
むしろ、海外の文献や専門書を読み、そこに書かれている知識を理解することが重要でした。
英語や欧米語は、知識を輸入するための言語だったのです。
つまり、日本にとって英語は、まず「会話の言語」ではなく、「読むための言語」として大きな意味を持っていました。
これは、当時の日本にとって合理的なことでした。
- 海外の技術や制度を学ぶ
- 専門書を読む
- 翻訳する
- 日本語に置き換える
- 国内に広める
こうした流れの中で、英語を読む力は非常に重要でした。
- 英語の文章を正確に読む
- 文法構造を理解する
- 単語の意味を取り違えない
- 英文を日本語に訳す。
これは、近代化のために必要な力でした。
もちろん、現代の英語教育とは状況が違います。
今では海外旅行も身近になり、インターネットで世界とつながり、仕事で英語を使う人も増えています。
文部科学省も、近年は「聞く・話す・読む・書く」の4技能を重視する方向を示しており、第4期教育振興基本計画では、
- 中学校卒業段階でCEFR A1相当以上(英検3級程度〜)
- 高校卒業段階でCEFR A2相当以上(英検準2級〜準1級程度)
を達成した生徒の割合を増やす目標が示されています。(文部科学省)
それでも、長い歴史で見ると、日本の英語教育は「読んで理解する」ことに大きな価値を置いてきました。
日本にとって英語は、最初から日常会話の道具だったわけではありません。
近代化のために、海外の知識を読み取るための言語でもあったのです。
なぜ大学入試は読解力を重視したのか

日本の英語教育を考えるうえで、大学入試の影響は避けて通れません。
学校教育は、入試に大きく引っ張られます。
入試で問われるものは、学校でも重視されます。
学校で重視されるものは、生徒も一生懸命勉強します。
塾や参考書も、入試に合わせて作られます。
では、大学入試ではなぜ読解力が重視されてきたのでしょうか?
理由の一つは、大学で必要になる英語が、まず文献を読む力だったからです。
大学では、専門書や論文、海外の資料を読むことがあります。
特に研究や学問の世界では、英語で書かれた情報にアクセスできることは重要です。
そのため、大学から見ると、英文を正確に読める力は重要でした。
ただし、それだけではありません。
もう一つ大きいのは、入試が「大量の受験生を公平に選抜するための仕組み」だったことです。
- 読解問題
- 文法問題
- 語彙問題
- 和訳
- 内容一致問題
- 選択式の問題
これらは、大人数に対して実施しやすく、採点もしやすいのです。
もちろん完全に公平というわけではありません。
ですが、スピーキング試験と比べると、採点基準をそろえやすく、実施コストも抑えやすいのです。
一方で、スピーキングを入試で測るのは難しい面があります。
- 面接官が必要
- 採点基準をそろえる必要がある
- 地域差も出やすい
- 受験者数が多いと、実施コストが高くなる
- 採点の公平性をどう担保するかも問題になる
そのため、大学入試では、読解・文法・語彙のように測りやすい能力が重視されやすかった。
ここが大切です。
大学入試は、英語を話せる人を育てるためだけの仕組みではありません。
大量の受験生を選抜するための仕組みでもありました。
そのため、測りやすい読解・文法・語彙が重視されやすかったのです。
そして教育は、入試に引っ張られます。
- 入試で読解が出る
- 学校で読解を教える
- 生徒は読解を勉強する
- 塾も読解対策をする
- 話す練習は後回しになる
こうして英語は、実際に使う道具というより、点を取るための科目になりやすくなりました。
この構造を見ないまま、「なぜ話せないのか」とだけ考えると、本質を見誤ってしまいます。
なぜ英語は「道具」ではなく「科目」になったのか
日本人が英語を話せない人が多い理由を考えるうえで、とても大きいのが、日本語だけで生活できるということです。
日本では、英語を使わなくても、かなり高度な生活ができます。
多くのことが日本語で完結します。
これは、実はすごいことです。
- 日本語だけで、法律も学べる
- 医学情報も得られる
- 高度な技術書も読める
- ニュースも見られる
- 映画や海外ドラマも字幕や吹替で楽しめる
- 海外の本も翻訳される
- 国内市場も大きい
日本語社会は、とても完成度が高いのです。
これは日本の強みでもあります。
英語ができなくても、多くの人が教育を受け、仕事をし、生活できる。
これは決して悪いことではありません。
ただし、その便利さは、英語を使う必要性を下げることにもつながります。
- 英語を使わなくても困らない
- 英語を話す機会がない
- 英語を使わなくても大学に行ける
- 英語を使わなくても就職できる
- 英語を使わなくても娯楽を楽しめる
そうなると、英語は生活の道具ではなく、学校で学ぶ科目になりやすい。
- テストで点を取るためのもの
- 受験で必要なもの
- 成績に関わるもの
- でも、日常ではあまり使わないもの
この構造が、日本人の英語力に大きく影響しているのではないでしょうか?
日本人が英語を使わなくても生活できたのは、日本語社会がそれだけ大きく、便利で、完成度が高かったからでもあります。
その豊かさが、逆に英語を使う機会を少なくしていたのかもしれません。
なぜ海外の人は、難しい単語を知らなくても英語を話せるのか
海外で人と話していると、英語を話せる人の多さに驚くことがあります。
しかも、彼らが必ずしも難しい単語をたくさん知っているわけではありません。
- 文法も完璧ではない
- 発音にも母語の影響がある
- 難しい表現を使っているわけでもない
それでも、会話ができる。
なぜなのでしょうか?
ここで注意したいのは、「海外」と一括りにしないことです。
ヨーロッパでも、アフリカでも、アジアでも、英語の使われ方は大きく違います。
英語が得意な国もあれば、そうではない国もあります。
- 都市部と地方でも違う
- 教育機会によっても違う
- 所得階層や職業によっても違う
つまり、「海外の人はみんな英語が話せる」と言うのは雑です。
ただ、英語を話せる人が多い国や地域には、いくつかの共通点があります。
それは、英語が「学校で習う科目」ではなく、「生活や仕事で使う道具」になっていることです。
ヨーロッパでは、英語が外の世界への窓になりやすい
ヨーロッパでは、英語を話せる人が比較的多い国があります。
特にオランダや北欧諸国などは、英語力が高い地域として知られています。
国際的な英語力調査であるEF English Proficiency Indexでも、2025年版ではオランダが123か国・地域中1位とされています。
もちろん、この調査は受験者ベースであり、国民全体を完全に代表するものではありません。
それでも、国際比較の参考にはなります。(EF English Proficiency Index)
ヨーロッパで英語が使われやすい背景には、いくつか理由があります。
- 国境が近い
- 隣国との移動が多い
- EU圏内で学業、仕事、移住の機会がある
- 観光やビジネスで英語を使う場面が多い
- 母語の市場が小さい国では、英語が外の世界への窓になる
- 字幕文化によって、英語音声に触れやすい国もある
たとえば、母語の話者数が少ない国では、自国語だけではアクセスできる世界が限られます。
- 海外の情報を取る
- 隣国で働く
- 海外の大学へ行く
- 国際的な企業で働く
- 旅行者と接する
こうした場面で、英語がかなり実用的な道具になります。
だからこそ、英語が学校だけで終わりにくいのです。
もちろん、ヨーロッパでも国によって違いはあります。
フランス、スペイン、イタリアのように大きな言語圏では、北欧やオランダほど英語が日常に近くない場合もあります。
それでも、国境の近さ、多言語環境、移動のしやすさ、字幕文化などは、英語に触れる機会を増やしやすい要因です。
アフリカの一部では、英語が階層移動の言語になっている
アフリカも、一括りにはできません。
英語圏もあれば、フランス語圏、アラビア語圏、ポルトガル語圏もあります。
さらに、多数の現地語があります。
ただし、アフリカの一部では、英語が行政、教育、ビジネスで重要な役割を持つ国があります。
- ナイジェリア
- ガーナ
- ケニア
- ウガンダ
- 南アフリカ
こうした国々では、英語が単なる外国語ではなく、公用語や教育、仕事の言語として機能することがあります。
この場合、英語ができることはかなり実利的です。
- 良い学校に進む
- 大学で学ぶ
- 都市部で働く
- 国際機関や外資系企業で働く
- 観光業やビジネスに関わる
- 所得や階層移動につながる
つまり、英語が「話せたら便利」ではなく、人生の選択肢に直結しやすいのです。
もちろん、ここには難しさもあります。
英語が教育言語になることで、英語に触れる機会の少ない子どもには負担になる場合があります。
世界銀行も、子どもが理解できる言語で初期教育を受ける重要性を指摘しており、母語ではない言語で学ぶことが学習の壁になる場合があるとしています。(Word Bank)
つまり、アフリカの一部で英語が話されることには、希望と格差の両面があります。
英語ができれば選択肢が広がる。
しかし、英語にアクセスできるかどうかが格差にもなる。
日本とは、英語の位置づけが大きく違います。
アジアはかなりバラバラである
アジアについては、さらに注意が必要です。
アジアを一括りにすることはできません。
英語が社会に深く入っている国もあれば、日本のように英語が日常生活で必須ではない国もあります。
たとえば、シンガポール、フィリピン、インド、マレーシア、香港などでは、英語が社会の中で大きな役割を持っています。
背景には、旧植民地の歴史、多民族・多言語社会、公用語としての英語、教育・ビジネスでの英語使用などがあります。
- シンガポールのような多民族国家では、英語が共通語として機能しやすい
- フィリピンでは、英語が教育、ビジネス、海外就労と結びついている
- インドでは、多言語社会の中で英語が高等教育やビジネスの共通語として大きな役割を持つ
このような国では、英語は「外国語」でありながら、社会の中に深く組み込まれています。
一方で、日本、韓国、中国、台湾などは、英語教育に力を入れていても、日常生活では英語が必須ではない場面が多いです。
- 母語の社会が大きい
- 国内市場がある
- 行政、教育、生活が母語で完結しやすい
- 英語が受験科目になりやすい
- 日常で使う場が少ない
この構造は、日本だけに限りません。
英語を学んでいるのに話す機会が少ない国は、アジアにもあります。
つまり、英語が話せるかどうかは、「アジアかヨーロッパか」だけでは説明できません。
英語が社会に組み込まれているかどうか。
ここが大きいのです。
英語は、授業だけではなく「使う量」で身につく
海外で英語を話せる人は、学校だけで英語を身につけているわけではありません。
もちろん学校教育も大切です。
しかし、それ以上に大きいのは、日常の中で英語に触れ、使う機会があることです。
- 映画やドラマを字幕で見る
- YouTubeやSNSで英語に触れる
- ゲームで英語を使う
- 観光客と接する
- 職場で英語を使う
- 大学で英語資料を読む
- 海外へ移動する
- 英語を使わざるを得ない環境がある
こうした経験が、英語を「知識」ではなく「道具」にしていきます。
そして、英語を話すときに必ずしも難しい単語は必要ありません。
- 簡単な単語で話す
- 短い文で伝える
- 言い換える
- 聞き返す
- ジェスチャーを使う
- 多少間違えても会話を止めない
これができれば、かなり会話は成立します。
逆に、難しい単語を知っていても、簡単なことを瞬時に言えなければ、会話は止まってしまいます。
日本人は、難しい英単語や文法を知っていることがあります。
しかし、知っていたとしても、それを使って話す経験が少ない。
ここに、海外の英語話者との違いがあります。
英語を話せる国の人たちは、必ずしも難しい単語をたくさん知っているわけではありません。
ただ、英語を使う必要があり、使う場があり、間違えながらでも伝える経験を積んでいるのです。
なぜ日本人は間違えることを怖がりやすいのか
英語を話すとき、日本人は間違えることを怖がりやすいと言われます。
- 文法を間違えたくない
- 発音を笑われたくない
- 単語が出てこないと恥ずかしい
- きれいに話せないなら話したくない
- 人前で失敗したくない
もちろん、これは日本人全員に当てはまるわけではありません。
しかし、英語を話す場面で、こうした気持ちを持つ人は少なくないと思います。
なぜそうなるのでしょうか?
一つには、学校で英語が「正解・不正解」のある科目として扱われやすかったことがあります。
- 文法問題には正解がある
- 単語テストにも正解がある
- 和訳にも、ある程度の模範解答がある
- テストでは、間違えると点が下がる
この環境に慣れると、英語を話すときにも「正しく話さなければ」と考えやすくなります。
ですが、会話はテストではありません。
- 多少文法が間違っていても、伝わることがある
- 単語が出てこなくても、言い換えれば伝わることがある
- 発音に母語の影響があっても、相手が理解してくれることはある
もちろん、文法や発音を学ぶことは大切です。
ただ、完璧になってから話そうとすると、いつまでも話せません。
英語を話す力は、正解を知っているだけでは身につきません。
間違えながら使う経験の中で、少しずつ使えるようになるものです。
英語は、知識であると同時に、スポーツや楽器に近いところがあります。
ルールを知ることは大切です。
ですが、実際にやってみなければ身体は動きません。
英語も同じです。
- 実際に口を動かす
- 相手の反応を見る
- 聞き返す
- 言い換える
- 間違えて直す
- もう一度使う
こうした経験が必要です。
間違えないようにすることより、まず伝えようとすること。
そこから英語は、少しずつ「科目」ではなく「道具」になっていくのだと思います。
最近の英語教育は変わってきている
ここまで、日本の英語教育が読む力や受験に寄ってきた背景を見てきました。
ただし、今の英語教育が昔のままかというと、そうではありません。
日本の英語教育も変わってきています。
- 聞く
- 話す
- 読む
- 書く
いわゆる4技能を重視する方向に進んでいます。
- 小学校でも英語が導入されている
- 授業の中で英語を使う活動も増えている
- スピーキングやプレゼンテーション、やり取りを評価しようとする流れもある
- CEFRのような国際的な指標も参照されている
文部科学省も、英語教育の改善に向けて、生徒の英語力や教師の指導状況などを調査しています。
(英語教育実施状況調査)
つまり、日本の英語教育は「読むだけ」の方向から変わろうとしています。
これは大切な変化です。
ただし、制度が変わればすぐに話せるようになるわけではありません。
話す力を育てるには、実際に話す時間が必要です。
クラスの人数が多ければ、一人ひとりが話す時間は限られます。
- 教師の負担
- 地域差
- 評価の難しさ
- 入試との整合性
さらに、学校の外で英語を使う場が少なければ、授業だけで話す力を伸ばすのは簡単ではありません。
英語教育は変わりつつあります。
ですが、話す力を育てるには、制度だけでなく、実際に英語を使う場が必要なのです。
では、英語を話せるようになるには何が必要か

では、英語を話せるようになるには、何が必要なのでしょうか?
まず、難しい単語を大量に覚えることだけが答えではありません。
もちろん語彙は大切です。
文法も大切です。
しかし、話すためには、それ以上に「使う経験」が必要です。
英語を話すときに大切なのは、完璧な英文を作ることだけではありません。
- 簡単な英語で伝える
- 短い文で話す
- 言い換える
- 聞き返す
- 相手の反応を見る
- 間違えても止まらない
- 自分の言いたいことを英語にする
こうした力が大切です。
たとえば、難しい単語を知らなくても、
「昨日そこに行った」
「すごくよかった」
「もう一回やってみたい」
「それはどういう意味?」
「もう一度説明してくれる?」
「その単語は知らないけど、こういう感じのもの」
こうしたことを英語で言えれば、会話はかなりできます。
英語を話す力は、難しいことを知っているかどうかだけではありません。
簡単なことを、すぐに言えるかどうかです。
そのためには、英語を「科目」から「道具」に変える必要があります。
- オンライン英会話を使う
- 海外旅行で使ってみる
- 外国人と話す機会を作る
- 英語で独り言を言う
- 自分の好きなテーマを英語で説明する
- 短い表現を何度も使う
- 間違えても続ける
そうした経験を積むことで、英語は少しずつ使えるようになります。
英語を話せるようになるには、英語を知識として積み上げるだけでは足りません。
英語を使い、間違え、伝わる経験を積むことが必要です。
まとめ:英語は、世界を広げる道具である
日本人が英語を話せない人が多いのは、能力が低いからではありません。
英語を「使う道具」としてではなく、「学校の科目」として学びやすい構造があったからです。
- 日本語だけで高度な生活ができる社会
- 読解や文法を重視してきた歴史
- 大学入試の影響
- 英語を話す機会の少なさ
- 間違えることへの恥ずかしさ
これらが重なって、英語の知識はあるのに、英語を使う経験が少ない人が多くなりました。
一方で、英語を話せる海外の人たちは、必ずしも難しい単語をたくさん知っているわけではありません。
英語を使う必要があり、使う場があり、間違えながらでも伝える経験を積んでいます。
英語は、日本で生きるために絶対必要なものではないかもしれません。
実際、日本語だけでも多くのことができます。
それは日本語社会の豊かさでもあります。
ですが、英語ができると、世界は広がります。
- 海外の人と話せる
- 海外に一人で行ける
- 海外の授業を受けられる
- 海外ニュースや一次情報に触れられる
- 海外の文化や価値観を直接知ることができる
- 日本を外から見ることができる
英語は、単なる科目ではありません。
人生の選択肢を広げる道具です。
英語は、完璧に話すものではなく、世界とつながるために使うものです。
日本の英語教育の構造を知ることで、これから英語を「科目」ではなく「道具」として使い直すための出発点になるのだと思います。
ここまでお読みいただきありがとうございました。
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